現在の延平郡王祠(旧・開山神社)に今なお存在する名残り

現在でも台南市に御鎮座する廟、延平郡王祠(ゆぇんぴんじゅんわんつう=旧・開山神社)ですが、とても綺麗な眩い寺宮で、現在この屋根に用いられている瓦は入手不可能な焼き物なのだそうです。
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このお寺は、最初は鄭成功という当時台湾を植民支配していたオランダを駆逐した英雄を祀る道教の寺院として、日本で言う江戸時代に建立されました。

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カッコイイですね~、英雄とはどの国でも独特の威厳を放っています。

やがて日本の政治が始まると最初の公的神社『官社』としての神社とされ、県社に列格し、御祭神はそのまま鄭成功でした。

そして日本が敗戦して台湾から引き揚げるとまた道教の寺院に戻されるという三度の転身をした貴重な寺宮なのです。
そしていたるところに神社であった名残を見ることが出来ますが、皆さんは鳥居とか神輿とかに目が行ってしまうと思いますが、実は日本の東海地方に多く見られる工作物までもが復元されて、備えられています。
それは『蕃塀(ばんべい)』です。

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なんて事もないただの塀に屋根が付いている土塀ですが、これこそが隠れた神社の特徴なのです。

みなさんは神社の参道にはある法則性があるとお感じになられた事はありませんか?

そうです。神社の参道はクネっと曲がっているタイプの神社と、かなり直線的な参道の神社とにハッキリ分かれませんか?

そのクネっと曲がっている参道が、神道的造形で、一直線なのは寺院的造形の神社の場合が多いのです。

参道を曲げて作るのは一般には「神意を畏(かしこ)み、正中(せいちゅう=真ん中)を避ける為(恐れ多いため)」とされていますが、昔の神社設計士はなるべく神社を荘厳に見せる為にあらゆる視覚的な工夫を施しました。

例外では鎌倉の八幡宮などは昔、『八幡宮寺』と旧扁額にもあるように昔はほとんどお寺であり、旧境内鳥瞰図を見ても伽藍配置などは寺院様式です。
したがって若宮大路からかなり遠い位置からも社殿・楼門・舞殿が見えています。
同・八幡宮寺は江戸時代は不人気で、戦後に栄えた寺宮です。

しかし神社の多くは参道をクネらせて、直前まで社殿を見せないように造ります。伊勢の「皇大神宮」「豊受大神宮」「諸別宮」など全ては参道が曲げて造られています。

これは当時遠路を徒歩で参詣に訪れた人たちを楽しませる工夫です。
参道は緑の木立ちや季節の花などを愛でさせながらゆっくり歩いてもらいます。そして手水を取って、その位置からは神門から社殿の端が見える程度、そして神門には門帳(ノレン状の布)があり社殿の前景は見えにくくしてあります。
ようやく神門をくぐると荘厳な社殿が姿を現し、参詣者は直前までワクワクドキドキで、急に荘厳な社殿がドーンと姿を現し、感動する、という仕掛けです。

そして伊勢を中心とした東海地方に今なお残る構築物が『蕃塀』なのです。この塀は劇場で言う『緞帳(どんちょう)』ですね。最後に神前をさえぎるこの塀を抜けてから神様と対面することが出来るのです。

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現在では台南は大都市部なので当時の地形とはかなり異なると思いますが、この蕃塀は道教に復されてもなお存在し、正中を遮断する役割をはたしています。

延平郡王祠に行かれた際にはぜひご覧ください。