祭りで歌われる木遣

木遣り(キヤリ)はお祭りなどで東京を中心とした関東から東海地方でよく歌われます。
では関西はどうなんでしょうか!?
関西にも木遣りはありますがあまり盛んでなないという感じです。
ではどうして関東で盛んかというと、一応理由があります。
木の仕事、船の仕事などで、仕事歌として歌われていました。
また、江戸の町火消は祭りの時に木遣りを歌っています。
鳶職は町のお世話係の一役も担っており、正月飾りから喧嘩揉め事の和解などなど、江戸の都市には不可欠な存在です。

火消しは鳶職(大工の類)であり、身が軽いことから火事が起こると屋根に飛び乗り、消火の指示を出します。
そして纏(まとい)持ちが振る纏はもともとは馬印でした。
江戸の町はいったん火災が起こるとすぐに類焼し、被害が拡大することから、火災の時には馬印を付けた旗本衆(将軍様の側近の家臣)が陣頭指揮を執りました。しかし、大岡忠相(おおおか ただすけ=大岡越前)が、江戸の町火消の体制を整え、町火消衆に馬印の使用を許可したのがその始まりです。
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これが一般的な纏ですが、上の丸い部分が「ケシの実」で下の四角い部分が「一升枡(いっしょうます)」で上から読むと『けします』(笑)となっています。
下のイカの足のようなものは『馬簾(バレン)』で、消火指揮の際に目立つように振るテクニックが纏持ちには求められます。

そして町火消衆はそもそもが大工職であったため、木遣りを歌うのです。
祭りの時に木遣りを歌うのは、関係者や氏子に事故の無いよう、また祭りには重量物の移動がつきものであったために、梃子前を歌うことが多いのです。

昔は現在のような情報網がなかったために、歌の節回しは地域によって様々ですが、歌の文言は関東ならばほぼ同じで、遅く歌うか早く歌うかの違いだけですが、よく聞いてみないと全然違う曲のように聞こえるほどの緩慢による差異は大きく影響します。

ちなみに江戸の火消衆の木遣りは、湘南のものに比べてずいぶん遅く歌われているように聞こえます。