台湾人カップルの戦後初となる神前結婚式を行ないました

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御例祭の前日、戦後台湾人では初めてとなる、神前結婚式を斎行致しました。

この御夫妻は今年のお正月、当神社神前に於いてプロポーズをし、成功したので、当神社で神前挙式をあげる運びとなりました。

この結婚式では新郎新婦の希望で、全てをなるべく台湾の物を使いたい、との希望から、三献の儀(三々九度の盃)の時の神酒も原住民のお酒で行ない、結婚指輪も高士村謹製のジュエリーで、披露宴も村内の原住民料理と、原住民舞踊で披露宴を行ないました。

本当は新郎新婦の晴れやかな御顔をお見せしたいところでしたが、とてもシャイな御二人なのでお見せ出来ず申し訳ありません。が、お二人とも美女美男ぶりはかなりのものです(笑)。

披露宴は100人を超しましたが、これだけの規模の日本式神前結婚式から披露宴まですべてこの村内でこなせるのは、臺灣広しと言えども、ここだけしかありません。

当神社はご本殿は日本製ですが、その他の境内施設は全て台湾製で、最近拡張した正面大階段は原住民式となっており、単に日本の神社と同じものがあるというだけではなく、原住民文化と融合させ、立派なおもてなしもできる、台湾人の高い能力に深く敬意を表します。

新しい仲間を紹介いたします

令和元年の本年、新しく仲間入りをしたメンバーを紹介いたします。

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新しい仲間 (スペック)
名前 鐵悟(てつご) 君  ニックネーム『てっちゃん』
身長181センチ (身長レベル 優)
体重 近年測定していないらしく不明ながら、普通体形・やや痩せ型
国籍 台湾人
年齢 18歳(現在高校三年生・本年9月から台湾の有名私立大学で宗教学を専攻する予定 ※合格しています)
顔のレベル 良
使用言語 台湾式中国語・少しだけ日本語
将来の夢 神職
       ※現在、神職・巫女の募集は、上記のもの以外は締切っております。
性格 誠実で素直な性格
       ※皆様、可愛がってあげてください
現在の役職 研修生

以上です。

今回、神前挙式もあり、偉い人がたくさん来ていたので、鐵悟君は緊張のあまり顔が引き攣ってばかりでしたので、アップ画像は未成年の少年ということもあり、またの機会があればご紹介いたします。








令和元年の御例祭は5月5日ですお間違えの無いように

令和元年の御例祭は5月5日午前です

過去の情報がヒットして日にちをお間違えの方が複数いらっしゃるとお見受けいたしております。

また本年は令和元年で御朱印が混雑いたしますので、前日の5月4日にお越しの方(氏子村落のご宿泊の方)は5月4日からお書きいたしますのでご利用ください。

5月5日の御朱印は13時半で終了させていただきます。13時半までにお並びの方までは対応させていただきますが、それ以降は当職の飛行機の関係上、お受けできませんので予めご了承ください。
※ただし、13時半以降お越しの方は、書きだめの紙片(背面粘着式)はご用意がありますので、そちらでの対応となります。

またしてもテロ予告!

本日、また氏子宛てにテロの予告がありました。

ただいま現地警察と氏子青年会で警備を強化しております。

このような予告は実は毎年あり、その都度警察と氏子青年会で警備をしております。御心配をおかけいたしますが、万全の警備体制を敷いておりますので、お越しの際は駐車場やおトイレなども警察官を氏子奉仕団の誘導に従ってくださいませ。

今年は神社の正面参道の階段工事と、東参道スロープの舗装工事が完成いたしました。
ご参拝の皆様に少しでも便宜をお計り致したいと、氏子村でも鋭意努力をしておりますので、多くの皆様のご参拝をお待ちいたしております。



台湾の人口密度

私が初めて高士村を訪れた時は、当時村の人たちは『本当にこのような山奥に日本人が来るのか!?』と疑っていたそうです(笑)。

私が行く時はそれはもう、まだまだ閉ざされた山村の感がとても強く、道路でさえも来村者を拒んでいると感じさせるほどのボロイ道路で、話をする人はみな、『あそこに行くの?日本人が??なんで!?!?』と不思議がるばかりでした。

しかし、その時からすでに村ではインフラ整備と、開かれた村にしたいという計画があったので、途中はヤバいほどの悪路でも、部落の中はキッチリ整備がなされていて、バス停予定地も水洗トイレも完備されていて、あとは客が来さえすればいいだけ、という程に整えてありました。

そして神社の鎮座の予定が立つと、それまでの途中の悪路が一瞬にして綺麗に整備され、驚いた記憶があります。

この村に日本人が来たのは、最初に日本放送協会NHK)、次にチャンネル桜関係者、次に私、だったそうで、私以降、多くの人が訪れるようになった、ということだそうです。

ちょっと前までは、平地の台湾人でさえちょっと敷居が高いところでしたが、今は平地の台湾人の皆様も多くいらっしゃって、今までよりも人と人との距離がかなり縮まったように感じます。

もともと高砂族の排湾人は、屏東では平地人と山岳人の2種類が居て、平地排湾人(ガランピ・墾丁方面)は早くから熟蕃であったものの、この村はまだまだ最近まで生蕃と見られていたそうです。

しかし、台湾そのものの面積がそんなに広くないわりに、人口密度は九州の320人/㎢に対し、台湾では650人/㎢なので、九州よりもちょっと狭いところに、九州の倍の人が暮らしていることになり、そうした中で原住民の格民族の血統が混交しにくいまま現在に至っているのは、結構凄いんじゃないでしょうか!?


境内下乗の御定め

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お陰様で最近、当神社の境内整備も順調に進み、車止めも整備され、駐車場も整備されました。

ほんの2年前までは、まだまだの状態でしたので、境内に車馬を乗り入れることもありましたが、現在では氏子の意向で、境内は下乗していただきたい、ということです。

台湾の廟宮は日本の神社と一番に異なることは、参道を持たないことで、参拝者は廟宮の前に直接車を停めて参拝することが普通ですが、神社は参道を重んじていることから、境内の神聖の境域より前に、下乗位置が定められていて、「これより先、車馬に乗輿しないこと」が定められています。

また、昔は身分によっても当然下乗位置は異なり、天皇陛下の御下乗場『禁裏様御下乗処』を始め、身分と官位によって定められており、これを破ると刑罰の対象にもなりました。

台湾の当神社は、異国に鎮座している特殊性から、当職は礼法についてはあまり厳しくしてきませんでしたが、氏子の感覚として、やはり境内は下乗すべきだ、ということです。

これまで下乗の礼儀については直接氏子と話したことはありませんでしたが、このような感覚が既に備わっている南端高砂の人々は、生まれ持っての礼節と秩序を重んじていることに、改めて高い水準の文化と意識が自然と備わっていることに驚きと感銘を受けます。

但し、車いすの方は、下乗位置の対象にはなりませんので、村の方がいらっしゃれば一声かけて頂ければ、乗り入れることは可能です。

天皇陛下 御譲位に向けた儀式

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宮中三殿の『神殿』に参進される陛下 

天皇陛下とは、今さらですが日本の国王であることは当然ですが、王様と何が違うのか、ということを日本人でもなかなか把握成されていらっしゃらない方が多くいらっしゃいます。

もともとは「おほきみ=大王」と呼ばれておりましたがかなり古い時代に『天皇=すめらみこと』と御尊称申し上げるようになりました。

古事記に登場する、天照大神からニニギノミコトが『我が皇孫(すめみま)、行って治らせ、幸きくませ』と神勅を受けるシーンがありますが、すなわちは、天照大神の御子孫が「皇孫」となるので、天照大神の皇孫なので「天皇」なのであります。

西欧では統治権は国王、宗教的最高責任者は法皇であったり、教皇であったりと、王権と宗教権は分離していますが、我が日本国の場合は王権と宗教権は同一なのです。

従って天皇とは国王と法皇教皇がお一人に集約されているので他国には無い特別な尊称『天皇』陛下と申し上げているのです。

天皇とは国民全員の共通する国民・精神・宗教の代表者であり、当然思想の自由があるのでお考えは各個の自由になりますが、我が国が北海道から沖縄まで、一つの国であることを表す御存在なのです。

従って何人もこの地位を標榜して権威を振りかざすことも、また貶めることもしてはならず、これをすると国民としての常識を疑われることとなるのです。

今から20年ほど前、タイから留学に来ている人と知り合いになり、話した際に彼は『タイは王国です。みな王様を尊敬しています。しかし日本はこんなに立派な王様がいるのにどうしてあまり尊敬していないのか?』と聞かれたことがありました。 

これは我が国が2千年以上も続く、他に例を見ない長い歴史の王朝なので、あまり意識をしないのではないかという点が第一点。また、戦後、皇室に関する学問を教えることがタブーとなってしまった風潮が第二点。

と、当職は考えております。