日本武尊(やまとたけるのみこと)が焼討ちに遭遇したのはどこか

一般に日本武尊が焼討に遭ったのは焼津(やいづ=静岡県焼津市)の説と相模国さがみのくに=神奈川県)説と2つあります。
焼津にもヤマトタケル伝説があって、焼かれたから『焼津(=焼いたの)』という地名になったという伝説。
一方相模国では厚木で焼討に遭って弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと=奥さん)と横須賀の走水まで逃げて、海を渡って房総へ渡った伝説と、双方立派な伝承を備えています。
したがって私のようなものがジャッジをすることではありませんが、相模国では古代朝廷に従わなかった「阿久羅王(あくらおう)』と言う領主がいて、大和朝廷の手を相当煩わせたという伝承(これが国史では「相模の国造(くにのみやつこ)」に該当するのではないかと思われ、また厚木付近ではヤマトタケル関連の神社もあり、また朝廷によって抹消されたアクラ王を密かに祀る寺社もあり、また諏訪神社の国譲りの際にブン投げられてしまったタケミナカタの神が、すなわちアクラ王で諏訪を中心に甲州・相模にまで勢力を持ち、その一党が朝廷に抵抗し続けたという人もいます。確かに相模国には諏訪神社が多く在り、諏訪神社の祢宜家の守護神である『みしゃぐじさま』もあります。

焼津も確かに安部川があり、信濃との関連も濃いことから、この神話の背景には出雲神と大和朝廷との抗争なのかもしれませんが、実際は2000年も前のことなので定かではありません。