伊勢神宮と皇室・庶民との一側面
伊勢神宮と言えば現在では「正式には単に『神宮』と申し上げ、内外両宮御正殿を始め別宮・諸管社150あまりの神社群を指す」とされ、天皇陛下が御自らお参りされる、とされていますが、長い歴史を紐解くと、御歴代天皇陛下の御親拝は明治天皇まで無く、明治時代以降の天皇陛下が御親拝遊ばされ、国家管理時代には『私幣禁断(一般人がお供えをするな)』とまでされました。
それでは江戸時代に大流行したお伊勢参りはどうであったのかを振り返りたいと思います。
お伊勢参りはもちろん庶民の娯楽の大イベントで、お伊勢さんにお参りすることは庶民にとって人生の娯楽的観点では最大の行事でした。この当時は信仰も娯楽の内で(今でも娯楽的側面はもちろんあります)、今の内宮の宇治橋から火除橋までは御師(おし)達の祈禱所がビッチりと建っており、庶民は御師に太太神楽を依頼して祈祷を行っていました。
しかし最初の皇室も、皇室だけでは伊勢神宮の維持は手に負えなくなり、斎王派遣制度も古代の末期には廃絶します。そして貴族全体に、やがて貴族も財政的に困難になり、武家権門に、やがて庶民に、明治時代に急に国家に(この時に御師の祈祷所もすべて取り壊され、今は芝生になっています)、戦後また急にお金は庶民で、御親拝は明治以降の習いで続いているのです。
しかし金銭の負担は民間であっても御師制度は一度壊してしまっては復元はできず、太太神楽は現在ではひと昔前は神官(国家管理時代、神宮のみは神職は公務員で官吏でした。他の官国幣社は財政は少官多民)であった伊勢神宮の神職と舞姫(と呼ばれますが、神職補助の若い女性)が行っており、一手に引き受けています。
というわけで、神宮から追い出された御師たちは『出され損』となり、国家管理時代官営から民営に移行した時点から官側にいた人たちの一方勝ち状態となっているのが現状です。
最後にもう一度「神宮とはいったい誰のものか?」という疑問が残りますが、答えは日本人全体が主体者であることに間違えなないようです。