神武創業は『麗はし』か!?

よくご熱心な団体の集会などの声明で『神武創業の麗はしき国柄を・・・』という文言を耳にしますが、御承知の通り日本国は2千年来の歴史を有することは疑う余地もありませんが、その草創期が必ずしも麗しかったかどうかは誰も解らないはずです。

日本に文字がもたらされたのは仏教とともに持ち込まれたという認識が一般的ですが、一度に漢字が一気に流入したのではなく、3世紀から4世紀ころから徐々に入り始めたことが各物証からも明らかにされつつあります。
それ以前に関しては『神代文字』が各地方にあったという説もあれば、それを否定する国学者もおり、またそれらの資料も何故か同時期に紛失するということからも決定的証拠はありません。

明治時代の『神武創業に復す』るというスローガンも、もし皇紀が正しければ(皇紀はそのまま正確な歴史とは言い難い部分を多く含みます)約2800年前に急に復元するのであって、それまでの歴史的経緯も一切破却して「神武天皇のころはこうだったのかな?」と想像して新たに作った制度という側面があります。
明治政府が行い始めた神社行政も最初は神祇官を復元させたもののすぐに頓挫し、その後も所属省を2転するなどして、正直なところ失敗政策であった感が否めません。もし成功政治なのであれば現在でもその行政は存続しているはずですが、現在は官営の神社は一社もありません。

したがって日本の草創期は正確には古過ぎてわからないのであって、明治以降に再監修された現在の祭りは過去の歴史性とどの程度整合するのか、検証の余地は十分にあります。

しかし戦争が消し去ることのできない歴史であるのと同様に、明治維新で宗教行政が大きく転換したこと、戦後の宗教行政は神社のみに関して再度転換をしたことは史実として消し去ることはできないことです。