神社は戦争象徴ではありません

神社の創建の目的は、当然ですが、火事が多い村ならば火の神様をお祀りする。
流行り病で沢山の被害者を出したならば、祇園様を祀る、などと、村の安全を各個の安全を祈願することが本来の目的です。

しかし明治時代に登記し存続が認められた神社はすべて国家により管理され、敗戦した後も引き続き国家神道を宣揚する団体によって政治色が強い状態のまま運営されています。

当神社も、ものの解らないお方たちに、戦争に対する賛美だ、などなど、誤解を受けておりますが、当神社にあっては特に、復興の過程からこのような批判があることは想定していたので、国家神道を宣揚する包括宗教法人などの支配を受けてはならない、また、政治団体の介入を受けてはならないということを細心の注意を払って行ってきました。

全くの民意によって再建されたもの、御祭神に関しても外部からの干渉なく、氏子内で取り決められた御祭神です(一部分、日本人による干渉の試みはありましたが、私は厳として断っています)。

従って当神社は戦争に対する賛美でもなければ、日本国の威光を示す目的で再建されたものではありません。
日本国の威光を示す✖
日本の記憶を伝える

当神社再建の目的は村長の見解通り

『もつれた歴史に対する互いの許しであり、さらなる友好の証である』

ということです。
こちらの立派なご見解の村長閣下、好物は日本酒だそうなので、日本からお参りに行かれる方はお神酒をご持参されると、神様も喜び、氏子も喜ぶ、ということになりますので、私たち国民の行動で誠意を理解してもらいましょう!