神剣幽助(しんけんゆうじょ)

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この国宝の見事な太刀は、三日月宗近です。
 
なぜ『三日月』と号するかと言うと、刃中の模様が三日月に見えることと、太刀の反りが三日月を思わせるほど美しいからこのように呼ばれています。...
 
この、三日月宗近ではありませんが、小狐丸という刀があり、三日月を作った三条宗近が造りました。
 

今から1100年前、一条天皇が夜御座剣(よるのみましのつるぎ=夜の御守の刀)の盗難により、夢見が悪く、都で聞こえの高い、三条に住む宗近という鍛冶師に夜御座剣の製作を、天皇自らが勅使を派遣させ、頼みました。
 
真面目な宗近は何度も作刀を試みましたが、納得のいくものができませんでした。
そこで三条筋にある稲荷神社に、作刀の成功を祈願しました。
ある日、宗近は深夜に一人で作刀をしていると、稲荷明神の眷属の狐が現れて、宗近と一緒に槌を振り、作刀を手伝いました。
 
そうすると見事な太刀が出来、無事に一条天皇のもとに届けられました。
この刀は表に作銘『宗近』と刻まれ裏には『小狐』と刻まれています。
 

この物語は神楽で『神剣幽助』として現在に伝えられています。
 

このように日本刀は昔から御守や御神体として扱われており、人や物を斬ることは滅多にありませんでした。
 

現在、時代劇で人をバシバシ切っていますが、あれは嘘ですね! 
人を斬ってしまうと、血曇りの痕跡が残ってしまい、修理するのには再研磨が必要です。
再研磨を繰り返すと刀がすり減り、何百年も残っていくことは難しくなってしまいます。
これを『刀が疲れている』と言い、多くが片減りしているので、人を斬った刀は見ればすぐにわかります。