本年の御例祭は結構大変でした

本年は2月に国民党幹部の議員から批判の標的にされたことから、御鎮座地の村落に一時、ならず者達がやってきて批判活動を展開したことから、御鎮座地付近に居住する氏子が嫌な思いをし、村長とその仲間たち数名で警備に当たってもらいましたが、刑事事件にこそ発展しなかったものの、威迫行為もあり、村長が奥さんに『あんた、村を護れないの? ちゃんと護らなきゃダメじゃない!!』と怒られて村長が凹むということになりました。

しかし私の方も世相の混乱に鑑み、本年の御例祭を見送ることも提案しましたが、村長から『やって欲しい』との意思が示されたこともあり、通常通り祭儀を執行いたしました。

氏子にとってこの神社は、戦争により殉職した英霊を始め、戦禍により物故された氏子の霊を慰める施設なので、御例祭を行わないということは御祭神に対する不義理である、と考えてのことです。

お陰様であれから8カ月、村は以前の静かで平和な村に戻り、また、台湾の若者も興味を持つ人も多く、墾丁(ケンディン=日本でいう湘南のようななものです。湘南とは比較にならない程キレイな海ですが)に行く人たちや、環島(ふぁんたお=台湾島を一周する人たち)の人たちも立ち寄っていかれ、思い思いに写真を撮っていかれるようです。

私も思い思いにとっていかれる観光客の写真を見ますと、南国の空と海と自然の森に、凛とした姿で立ち続ける白い鳥居は意外にも良い景色であると、驚いております。

神社というものは勿論、伊勢に坐す内外両大神宮を始め、日光の東照宮、宮島の厳島神社もそうですが、神社の社殿単体が芸術的価値があるわけではなく、空と、山と、川や海と、、それらの大自然から総合的に生み出される雰囲気が神社特有の荘厳さと同時に身近さ、自然の神を祀る雰囲気、物故された方が自然に帰って浄化されること等々、無言であっても誰もが感じられるようになっているのです。