怨念も神たる存在

イメージ 1

こちらは出羽三山神社にお祭りされる蜂子皇子です。

この神は第32代崇峻天皇の皇子で、蘇我馬子によって崇峻天皇が暗殺され、難を逃れて出羽に落ち伸びたと言われています。

その風貌は上記の絵画のほか、彫刻類も残っていますがどれも恨みに満ちた憤怒の相であります。
人の恨みは1000年以上続くものです。

この皇子は御自身が苦労した分、人には優しかったらしく、能除大師と尊称されますが、恐らくその怨念は1500年経過した今でもなお、出羽三山のふもとで燃え続けていることでしょう。

人は愚かな生き物なので、暗殺や讒言などあらゆる手段で人を陥れ、排除しますが、この皇子の父、崇峻天皇を殺害した曽我氏も入鹿が同じように御所で暗殺されることとなり、また400年時代は下りますが、菅原道真を排除した藤原氏は御所への落雷によって悉く死んでいます。

この長い歴史を持つ日本国はそれだけ、怨念も多くあり、この国の半面は怨念・怨霊の歴史でもあるのです。

ある意味、神の怒りを買うよりももっと怖いのは、人の恨みを買うことです。なぜならば、怨霊となってしまっては神威や霊験で報復するしかありませんが、生きる人間は、直接報復できるからです。

現代法では報復は刑法に抵触する直接法を除けば、報復そのものを禁止する法律はありません。

しかし江戸時代までは『このような事由により、きっちり仇を討つ必要があります』と役所に届け出れば、公式に認められていました。