台湾と仲が良い、神奈川県

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

神奈川県の旧高座郡は、座間に海軍工場があり、戦闘機『雷電』を製造していました。
その工場に8400人の台湾人青年が働いており、大和市草柳の寄宿舎に住んでました。

敗戦後彼らは自国に帰り、台湾の技術国としての成長に大きく貢献したそうです。

因みに戦後台湾にやって来た蒋介石の大群に対して、ラジオ局を占拠し『台湾人よ、立ち上がれ!!』と決起を促したのは、実は彼らだそうです。

臺灣少年工たちは、日本で技術を学んだだけではなく、大和魂も習得していたのでした。

因みに江ノ島も、彼らにとってはとても良い休日の慰安所だったようです。
きっと江ノ島の天王祭の神輿を担いだ少年工も居たんだと思います!