神社は黙して語る
鋭い方は洞察されていると思いますが、神社の神道という信仰には厳しい戒律や積極的に教えを解かない信仰です。
しかし神社の神前に立つと何か上から見られているのではなく、神様から見られているような感じを受けませんか?
もちろん神が感応されている(神威を顕わしている)ということもあるでしょうが、それだけではありません。
そこには建築と密接に関連した緻密な計算があるのです。
日本で一番別格に位の高い三重県伊勢市の神宮ですが(正式には「伊勢神宮」ではなく単に『神宮』と申し上げます)、建物は大きいですが、圧倒させないためにお賽銭箱の前は門帳で仕切られていて、参拝所から少し離れたところで千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が顔をのぞかせます。
実はこの千木、長さは3.3メートルもあります。 鰹木は長さは1.6メートル太さは60センチ、一本の重さは450キロもある、壮大な建築です。
しかし御神座が置かれる御本殿は参拝所とフラットな平地に立てられています。つまり神宮の正殿は私たちと同じ高さの土地の上立てられているのです。
また、当神社のように基壇が土盛りしている場合は、どうしても見上げるようになるので、参拝者が自然に神様と目線が合うように、妻の鬼板を外側に傾斜させ、前面の軒の仕舞い方を15度から20度、軒の鬼板よりも深く傾斜させています。この作りを『深くうつむく、もしくは浅くうつむく』など、参拝者の位置をどこに想定して造るか、また祭典を座礼(ざれい=正座の作法で祀る)、立礼(りゅうれい=起立の作法で祀る)かによっても考慮しながら造り込んでいきます。
ですから、こんど色々と神社に参拝される時には(この神社はどの位置で目が合うように作られているのだろうか)と探してみると面白いと思います。
恐らく、(ここだな)と思われるところが力点(りきてん=パワースポット)に設計されています。