高杉晋作作戦だったのです

よく私が有職装束(ゆうそくしょうぞく≒神職の装束)でメディアに出ていますが、そこには一つの有名なエピソードがありまして、、、話せば長くなるんですが・・・。

と、まあ、最終会議で紛糾した場面にる可能性もあろうとの予測が事前にあり、どのようにして進めるのが望ましいのかと思案した結果、{高杉晋作は確か一番良い直垂烏帽子(ひたたれ えぼし=近世武士の最も厳格な時に用いる装束)でイギリスとの交渉に臨んで切り抜けたんだっけ。では先人にあやかって}ということで、正絹(しょうけん=シルク)の狩衣(かりぎぬ)と漆塗りの烏帽子(えぼし=帽子)、勝負笏(私の中で最も勝負の時に用いる笏=しゃく=です)、塗りの浅沓(あさぐつ=黒塗りの木の靴)という、厳重な容姿で約束と一部分でも違うことがあれば容赦なく怒ったという、隠れたエピソードがあります。

当時は国民党政権下で、政府の官公吏はどうしても与党の顔色をうかがいます。

しかし、どうしてもここで押し通しておかなければ、歴史の扉をこじ開けることはできません。

なので最終確認では
『本来はこの日は招魂祭のはずであった!』
『それは約束が違う!』
『日本人の沽券にかかわる!』
と私が言論で大暴れの中、高雄を始め参加してくれた友人たちと、神社再建を望む村の皆さんの多くの助けがあり、めでたく御鎮座が相成りましたのでございます。

あとになって傍聴していた人に聞いたら『すごく怖い人だと思った』と言われましたね~~~。

しかし、のちに(現在)氏子となる村民の代表から

『やりましょう。もし妨害されるようなことがあれば強行しましょう。私たち(氏子)は喧嘩も酒も強いんだよ~~~!((笑))』

という結論に至ることになり、これまで建築復元活動のみで、宗教としての機能を持つことのなかった戦後台湾の神社遺跡が、遺跡ではなく、「神社」となったのでした。

この会議の後、氏子は私が怒り狂っていると思い「まあ、飲め!」「とりあえず、飲め!」の攻撃で、久しぶりに酒でバッチリ潰されちゃいました。
『まぁ、あんたも酒はまだまだだなぁ(爆笑)』という有り様でしたが、今では良い思い出となりました。

また、メディアなどには一目で神職であることが見て取れ、姿だけでインパクトがあり少しでも人の記憶に残せてもらえるように、ということもあります。

ということなので、これら一連の作戦は「高杉方式」となっております。

今に至っても英断を下した氏子の皆さんと、応援してくれた友人たちには敬意を表しています。