社格の色々

神社はその歴史上、時代時代によって時の行政や民衆によっていろいろな格を受けました。

現在機能している社格は行政も民間もキッチリと定められているものはありません。
今でも日本人はテレビ番組の『芸能人格付けバトル』であったり「俺のが上位だ」という意識を強く持っており、新幹線の速度であったり、電波塔の高さであったりと、常にライバルと競い合うことで互いを研鑽してきた一面もあります。

終戦後、GHQの支配を受ける直近の社格は上位から

県社
郷社
村社
というものが行政から与えられた最後の社格です。

これと並行して民間からも信仰として平安時代後期から発生した諸国一之宮(一宮と表記して「いちのみや」と発音する場合もあります=口語と文語の違い)・惣社二十二社というもものがあり、厳密には二十二社は官社=朝廷の神祇官が取り決める社格ですが、一之宮・惣社は完全に朝廷とは無関係の社格であること、また、これに反して幕府内では結構重く用いられてきたこと、また明治時代以降終戦までの間は上記の『官・国幣社』の制度を用いたため、後者は(一之宮)の制度は国家神道とは関係していません。

しかし一之宮という呼称は大きなステイタスでもあり、比較的新しい神社やその地方において有力な神社は名乗りたがる傾向があります。
日本では昔から『一番名乗り』を重んじてきたことと過去の慣習も重んじていたことや、一之宮をめぐる争いも歴史上発生した地域もあります。

これは大名の代官や地頭職(守護職と地頭職)の力関係によるという説や、幕府がその神社行政上、優位に占めるものが一之宮や別当職であったため、このような争いも生じたものと思われますが、現在では一之宮の体系に入らなかった神社ではあるが、その旧国内(旧国=昔の諸国≒諸藩)の一之宮が空席である場合や(二十二社があって、一之宮が生じにくい環境下である近畿五国をはじめ北海道や沖縄など)、一之宮が比較的曖昧であった東北地方などは、時代によって続々と発生してきたケースなどいろいろありますが、その正当性を精査するのは、幕府も無く行政も宗教に干渉できない現在では、参拝者・運営者に委ねられています。

一之宮が空席であった場合や、生じなかった地域、また東北地方などでは、一之宮に目が行ってしまったので、惣社・総社・二之宮・三之宮以下の社格は無いケースも結構あります。