2015-01-01から1年間の記事一覧

誇りある祖先と郷土

本日、日本で唯一のどんな圧力にも屈しないということで有名なチャンネル桜のスタジオにお邪魔してまいりました。 スタジオではその、どんな圧力にも屈しない、社長の水島聡さんとVTRを見ながら対談しましたが、本当はもっと多くの事を語りたかったのです…

神社覆殿のシートについて

現在、複数の方から『せっかく行ったのに神社を見ることが出来なかった!』との御指摘がございました。 当該鎮座地は台風が直撃すると恐ろしいほどの暴風雨になってしまいます。したがって氏子村民が心配して覆殿にシートを誂えて設置してくれたのです。 お…

本殿基礎工事について

これまでお気づきの方も多くいらっしゃったと存じますが、当神社の基礎は石組の上にモルタルでコーティングされ、その上に社殿が乗っていますが、現況はフォークリフトのパレットに乗っています。 これには理由があり、ここからは現場合わせで行わなければな…

忽然と姿を消した『祇園御守』

この紋は『祇園護(ぎおんまもり)』や『筒守(つつまもり)』と呼ばれる紋様で、感神院系(現・八坂神社)の系統の社寺宮に於いて用いられていたと言われる御守りをモチーフにした紋様です。 現在に於いても全国の祇園系の神社や或いはお寺、またはお祭りに…

【推察】 遥か南方の同胞にとっての玉音放送

昭和20年8月15日、大日本帝国は悔しくも大戦に敗れ、昭和天皇陛下の玉音を以て日本本土を始め共に戦った旧内地外の同国民の各地に陛下御自ら終戦を宣言する放送が流されました。 これより大日本帝国は日本国に改められ、共に戦い心を交わした旧内地から…

歴史学のススメ

最近、屏東縣牡丹郷では牡丹社事件の史跡を巡る旅が流行しているようです。 私自身、大学の専攻が歴史ですから、当時の教授がいつも言っていたことは『歴史はワラジ学問なんだ。文献だけではなく実地踏査が欠かせないんだ』と言っていました。 牡丹郷石門村…

台湾の神様の樹

日本に於いては神様に供える樹としては榊(サカキ)が一般的ですが、万葉集には招魂(オガタマ)の樹が神が好む樹として紹介されています。 また関東以北ではヒサカキを用います。 台湾ではこの樹「榕樹」が神仏の樹として使われます。いわゆるガジュマルで…

久々のお休み気分です

今日は久々の時間を作り、とある道の駅の調査に出かけました! すると、こんな所に立派な屋台がありました。関東にはいろんな形状の屋台があり、なにか心を和ませる物がありますね。

ご本人の許可をもらったので紹介します!

台湾原住民のDushuraクンです。 彼は阿美族のダンスで踊っていました。が陸上競技の怪我で長時間の踊りが踊れなくなり、第一線を後輩に譲ったそうです。 彼の家はビンラン(噛みタバコのような小さな椰子の実)を作る農園を営んでいます。お酒が好きで気さく…

笏(しゃく)の意味合い

よく聞かれることがありますので笏(しゃく)の意味合いについて数点申し上げますが、、一般的には笏は『式次第などをメモしたもの』だという説明がなされていますがただそれだけではありません。もしそれだけならば普通笏は左手に持ち、右に筆、という考え…

高士村の民族衣装!

この様子は氏子が伝統舞踊を神前に奉納しているところです。 ご覧ください、この晴やかな衣装と村民の喜ぶ笑顔を! 私はこの日の事を一生忘れることはないでしょう。 青色はパイワンの神話に出てくる太陽の涙と言われる瑠璃の色、赤い色は高士村の伝統的な目…

パイワンの海苔巻き(海苔じゃないけど)

この食べ物は、排湾族出身の警察官の友人に連れて行ってもらったカフェで御馳走になりました。 外側は柏の葉のような葉っぱ、中はアワのご飯、中心は豚肉です。味はダシと醤油の風味が香ばしく、台湾ビールとよく合います。 彼は排湾族では大頭目の甥で、伝…

神社は黙して語る

鋭い方は洞察されていると思いますが、神社の神道という信仰には厳しい戒律や積極的に教えを解かない信仰です。 しかし神社の神前に立つと何か上から見られているのではなく、神様から見られているような感じを受けませんか? もちろん神が感応されている(…

台湾の尺と和尺の違い

この画像は修理を終えた基礎上に図面を当てているところです。 まず最初に、台湾の1尺と日本の1尺は異なります。 私をはじめ一般的に今でも日本の建築の基準に広く用いられているのは明治時代に法律により定められた『曲尺(かねじゃく)』です。 したがっ…

それはその時、起こりました!

御鎮座をしてから3週間が経過し、いろいろあったその時の出来事を少しずつ、「(あの時こういうことがあったな)」という具合で思い起こすことが多く出てきます。 それは招魂の儀の時、絹垣(きぬがき=白い幕)の中で起こりました。 火切鎌(ひきりがま)…

紙垂(しで)を着けてます!

祭祀の前には紙垂を付けますが、この紙垂にもいろんな種類があって、社殿を巡らす紙垂と、向拝(ごはい)の紙垂は大きさを変えてあります。また、なるべく長持ちするように耐水紙を使い、年に数回の交換で済むようにしてあります。 この紙垂も日本国内であっ…

御神饌は全て村の特産品です!

写真を見た私の同級生の禰宜さんから『魚の向きが違うんじゃないか?』と有りがたいご指摘を受けましたが、この魚は淡水魚の『南洋フナ』です! したがって頭を正中(真ん中)に、且つ背中を御神前にむける慣わしなのでダイジョウブです!当然その禰宜さんに…

恒春市街地のホテルの御案内

恒春の市街地のど真ん中に位置する、ロングホリデーインです。 国道を墾丁方面へ進み、恒春市街地へ入り、屏東県道200号線入って300メートルほど進むと右側に在ります。 一階は可愛いロビーと左半分はオーナーの奥さんが営むブティックとなっています…

台湾の観光案内所は予約まで取ってくれます

台湾には日本と同じく大きな駅には観光案内所があり、泊まりたいホテルの場所と予算を伝えれば料金とホテルの外観と部屋のタイプを分厚い資料から探してくれます。そして、『予約して欲しい』と伝えると、名前を聞かれその場で電話して空き状況の確認と予約…

神社は若い世代に引き継がれていきます

この牡丹郷高士村の高士佛神社は、若い世代に引き継がれていきます。 高士村の役員の皆さんは今後この神社の維持・保存活動を通じて次世代への引き継ぎを図りたいと仰っています。 また、この村に村落出身の若者が祭の時には帰ってくる、同時に都市部の若者…

恒春の旅館の御紹介

http://blog.xuite.net/seacolor/twblog ↑ 旅館 『海的顔色』 台湾南部への御旅行を計画されている皆様に、良い旅館を御紹介します。 上記URLの旅館『海的顔色』ですが、1階はおしゃれなカフェとなっており、恒春市街の入口の分岐路に在ります。 日本語…

社殿概要

当神社御本殿は躯体のみで高さ230センチで約3尺3寸(和尺≒約1メートル)の基礎の上に鎮座しており、地面から屋根テンバまでは、およそ3.3メートルです。 様式は標準的な流造(ながれづくり)ですが、一応全ての規矩術(きくじゅつ=伝統的な意匠)…

台湾の芸術家から贈呈されました!謝謝!

ご覧頂いているのは、台湾の彰化市に住む若手デザイナー、陳重源さんから記念品を戴きました。 重源さんは戦後初めて台湾に神社が復興されることを知り、自分にも何かできることをしたいという思いに駆られて、これらのものを自費で設計されました。 私も、…

この写真が話題になっている

私は全然気にしませんでしたが、この一枚の写真が今台湾で話題になっているようです。 これは一連の御遷座の祭が終わった後に撮られたものですが、左上と中央より少し右下に白いモヤっぽいものが写っていますね。 参列者と私の記憶だと当日は台風一過の超晴…

親切な人が多い台湾、そして排湾族

先日、御鎮座祭の前日ですが、日本からも某テレビ局のカメラマンが取材にやってくるということでしたが、要客との時間が会わなくなってしまい、そのテレビマンから電話があり「どうやって行ったらいいでしょうか!?」と問い合わせがあったので私は『何とか…

良く頑張った!

これは招魂之儀(しょうこんのぎ)の模様です。4人の氏子から選び抜かれた若者たちによって絹垣(きぬがき)が持たれています。 この招魂之儀は、 一、修祓 二、神体仮動座 (神憑依代=みよりしろ)を斎場に座を移す 三、火切 火打石によって淨火を切り出…

村の氏子と台湾内協力者

関係者の皆さんです。 下段右から、姚さん、地元の少年・地元の少年、曾さん 中段右から、私、王さん、陳さん、陳さん、女学生さん 上段右から、女学生さん、高士社区発展協会の役員さん、女学生さん その後ろ右、女学生さん、柴犬を飼っている男子学生さん …

発願者が御元気なうちに御鎮座が間に合って良かった!

何とか、発願者(ほつがんしゃ)のパラル・ロンシンさんが御元気なうちにご鎮座させることができて本当に良かったです! 写真は重要協力者の曾さん、ロンシンさん、私が繋がっている画像です。 ロンシンさんは 『Hey! 佐藤健一、 良くやった! 良くやった!…

功労者の紹介

このインタビューを受けている人は、曾 奐中さん、といいます。 高雄市在住の設計士で彼のお爺さんは日本統治下で高雄市の土木局の偉い人を務めていました。彼のお父さんも会社を経営しています。そして御本人は設計事務所を経営しています。 曾さんは今から…

小学生時代の少年たち

彼等は現在は高校生の青年で、遷座祭では青年の舞を披露していました。 この村に伝わる舞踏は数番存在し、当日は最も厳粛な舞だったそうで、彼等も小学生の頃にならって以来、一度も披露していないそうです。 地元の人の話によると生涯に一度程度、披露する…